2023クリスマス話


 今日こそは。今日こそは帰って梓さんと一緒に過ごすんだ。

そう思い続けてはや二週間。ついでに言うと、連絡を返すことが出来なくなってはや二日。僕はいまだにカイシャでパソコンと睨めっこを強いられている。

 せっかく諸々の面倒な手続きやら何やらを終わらせて万難排して梓さんの隣で生きていく権利をもぎ取ったというのに、こうも忙殺されていては恋人気分すら味わえない。このままでは梓さんの彼氏の立場がまた大尉に奪われてしまいそうだ。自分でそんなことを考えて少し落ち込んだ。

『私の彼氏は大尉くんです!』

なーんて言いながらピカピカの笑顔を見せる彼女が容易に想像出来てしまう。恐ろしい。

 というか、このセリフは降谷として初めて彼女の前に立ったときに実際に言われた。僕の『梓さんは、今誰か意中の方がいらっしゃったりしますか?』なんていう今思えば下心満載な問い掛けに何の疑いもなくにっこり笑顔で返された言葉だ。僕の予定では『いませんよ』か『今でもずっと、安室さんが好きです』の二択だった。そう返されたら用意してあったセリフが言えたはずだったのに、予定外の彼氏いる宣言。勢いを削がれてしまった僕は、結局告白出来るまでにかなりの時間を要する結果となった。あのとき彼女が僕の気持ちに気づいてくれていたのなら、そもそも苦労なんて無かっただろうに。それ以降も何度も僕の告白紛いの口説き文句を一切気づかずに袖にし続けた梓さん。僕はそれはもう物凄く苦労して、友人や知人にたくさん相談して、何度も何度も間違えて、そしてようやく彼女の隣を手に入れた。

 交際を始めてからの梓さんは、それはそれは可愛い。もちろんそれまでだって可愛かったが、彼氏という立場になったことで前よりも甘えたり甘やかしたりが多くなったように感じる。それに、僕を見つめる視線に明らかな甘さが混じるようになった。僕の腕の中であの綺麗な翡翠色の双眸がとろりと甘く蕩ける瞬間、僕は世界で一番幸せな男になれる。

 そんな幸せな時間をもう二週間も作れていない。これは本当に由々しき事態だ。僕はもう梓さん欠乏症で発作を起こしてしまいそうだった。つい昨日、会えないストレスでギリギリと歯軋りをしながら書類を処理していたら、部下たちから『怖いのでやめてください』と泣かれてしまった。そこは反省している。

「よし、終わった!」

 ッターン!と勢いよくエンターキーを叩く。これで今日までの報告書の山は処理出来た……はずだ。たぶん。書き直しを命じた部下が持って来たりしなければ。……来ないよな? そんな不安に一瞬苛まれるが、少し首を伸ばして確認しても誰もこちらへ来ている様子はないから大丈夫だろう。万が一のためにパソコンの電源は落としたから、今更持って来ても無駄だけどな。

「あれ? 降谷さん、帰るんですか?」

 いそいそと帰る準備をしている僕にここ最近メキメキと成長している部下が目を丸くする。こいつはつい先日僕に面と向かって『降谷さんってカイシャに住んでんスか?』と言い放ってその場を凍らせていたヤツだ。その本気で驚いている表情が何を言っているのかを語らずとも語っている。

「ああ、帰るよ。家で彼女も待ってるしな」

 ちょっとドヤってしまったかも知れない。僕の梓さんは警視庁の刑事連中の憧れの看板娘だから、そんな彼女を苦労の末射止めることが出来たことを本当は声を大にして喧伝して回りたいくらいのことなのだ。本当にやったらきっと梓さんから物凄く怒られるし、僕の立場的にもよろしくないのでやらないが。そんな訳で、多少自慢気に胸を張ってドヤ顔をするくらいは許してほしい。

「あー、なるほど。今日はクリスマスですもんね」

「……は?」

 今、この部下は何と言った?

「え? だから、今日はクリスマスですし、彼女さんとデートの約束があるんスよね?」

 いいなー、オレもはやく彼女作ろー。そんな部下の言葉なんて右から左へ抜けてしまっていた。言われた言葉を反芻する。え? クリスマス? 今日が? 困惑した頭のまま取り出したスマホの待ち受け画面には、デカデカと十二月二十五日と表示されていた。その数字を目にした瞬間、サーッと血の気が引いていく。とんでもないことに気づいた僕はキョトンとする部下を放って走り出した。

 まさか今日がクリスマスだったとは! つい先日梓さんと『もう師走ですね』なんて会話をしたところだったのに、もう四分の三が終わっている……だと……!? 全く何にも意識していなかった。去年はクリスマスを失念してしまうなんてことは無かったのに。

 去年の今頃はまだ潜入中で、梓さんと二人並んで大量のクリスマスケーキを作っていた。クリスマスイブにはサンタとトナカイのコスプレをして店頭に二人並んでケーキを売り捌いたことを思い出す。あのときの梓さんは可愛かった。僕が着れるくらいの大きめのサンタ服は彼女が着るとダボッとしていてなんとも庇護欲をそそられた。赤は嫌だが、ああいう格好の梓さんは何時間でも眺めていられる。実際、去年は何度も見惚れてしまいそうな己を叱咤しながらケーキを売っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 本当に僕の梓さんは可愛い……って、違う違う。いや、違わないけど、今は違う。思考を梓さんに染めて良いのは、彼氏としての勤めをきっちりと果たしてからだ。僕としたことが、付き合って初めてのクリスマスをスルーしそうになるだなんて。失態以外のなにものでもない。

 僕は慌ててプレゼントを探しに錦座のブランド品店が立ち並ぶ通りに車を飛ばしたが、時既に遅し。目ぼしい店は軒並み閉店してしまっていた。そもそも、彼女はこういったブランド品は好まないだろう。じゃあ、駅前の百貨店は……と考えるが、こんな取ってつけたようなプレゼントなんて喜んでもらえるかどうかが不安だ。梓さんのためのプレゼントはきちんと下調べをした上で検討に検討を重ねて吟味すべきだというのに。己のあまりの杜撰さにクッと眉間に皺を寄せてしまう。

 きっと梓さんならプレゼントが無くたって笑顔で出迎えてくれる。僕の怪我の有無を確認して『うん、ちゃんと五体満足ですね!』なんてちょっと物騒なセリフで花丸満点の笑顔を向けてくれるんだ。分かっている。その笑顔を見れるだけで僕が幸せになれるのだって、ちゃんと分かっている。

 でも、僕はちゃんと梓さんにも報いたい。待っていてくれることが当たり前だなんて思いたくない。梓さんが笑顔でくれる『おかえりなさい』は当然に受け取れるものじゃない。奇跡のようなことなんだ。クリスマスはそんな当たり前ではない日常への感謝を伝えられるイベントの一つだというのに、すっかり失念してしまっていただなんて僕は本当にダメな彼氏だ。

 自己嫌悪に穴を掘って埋まりたくなりながらトボトボと街を歩く。すれ違う恋人たちはみんな幸せそうで、それに己と梓さんの姿を重ねて切なくなってしまった。本当なら今頃僕も梓さんと二人で幸せを分かち合っていたはずなのに……。

 そんな僕の目の前に急に花が咲いた。否、花屋があった。個人経営のようなこぢんまりとした佇まいのその店は、大通りから少し入ったところだからなのか道いっぱいに花を展開している。その中にある黄色い花に目を奪われた。蘭の花によく似たその花は、まるで両手を広げて待っていてくれる梓さんのようだ。花弁の下に掲げられているプレートの花の名をスマホで検索してみる。そこに記載されていた花言葉を見て僕は今日のプレゼントを決めた。

◇ ◇ ◇

 インターホンを押した途端、ドアの向こうが騒がしくなった。ドタドタガチャガチャバタンバタン。記憶していたよりも大きな音に少し驚いてしまう。そうしているうちに勢い良くドアが開いた。

「おかえりなさい!」

 顔を見る間もなく腕の中に飛び込んできた華奢な身体を反射的に抱き留める。ふわりと香った梓さんの香りに、ドキンと年甲斐もなく胸が高鳴った。ぎゅうぎゅうと少し強めに抱き締めて彼女の髪に顔を埋めると、欠けていた半身がようやくちゃんと形に成ったような心地がする。

「ただいま、梓さん」

「すっごく、逢いたかった」

「うん、僕も」

 一緒だね、と頬をピンクに染めてはにかむ梓さん。やっぱり僕の彼女は世界で一番可愛い。グリグリと胸元に頭を擦り寄せてくるところとか、可愛くて仕方ない。こういう仕草を見ると愛されている実感が湧いて舞い上がってしまう。

「梓さん」

「なぁに?」

「これ、受け取ってくれる?」

 差し出した花束を見て梓さんが目を丸くする。僕が選んだ花はシンビジウム。華やかになるように花屋の店主が包んでくれた花束は、今日のプレゼントとして相応しいものになったはずだ。

「綺麗……!ありがとう、降谷さん!」

 少し緊張しながら渡した花束。梓さんは、パァ! と顔を明るくして僕が一番好きな笑顔で笑ってくれた。その表情を見れて僕の心もポカポカになる。良かった。喜んでもらえた。

 ホッとした途端に室内に漂う美味しそうな匂いに気づいた。この匂いはビーフシチューだろうか?

「降谷さん、お腹空いてる?」

「うん、もうペコペコだよ」

「良かった! 今日はクリスマスだからね、ちょっと豪華なディナーにしたんですよ! ローストチキンもケーキもちゃんとあります!」

「え? 僕の分もあるの?」

 僕の問い掛けに梓さんがパッと目元を赤らめる。何の連絡もなく訪問したのに、梓さんは僕の分の夕飯まで準備してくれていたらしい。帰って来るかも分からない、連絡も滅多にしない男の分までクリスマスディナーを用意してくれるなんて、なんて出来た彼女だろう。

「だって、降谷さんの彼女になって初めてのクリスマス、だし……」

 感動に打ち震える僕に梓さんが上目遣いでそんなことを言う。もう可愛過ぎるって。この子は一体僕をどうしたいんだ? 心臓を的確にぶち抜かれてしまったじゃないか。愛おしさでどうにかなってしまいそうだ。僕の彼女、最高に可愛い。

「ありがとう、梓さん」

 僕の彼女になってくれて、本当にありがとう。そんな想いを込めて僕は彼女のさくらんぼ色の唇にソッとキスを贈った。

ICHIGOYA

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